「なぜ生きる」を知りたい人へ

生きることイコール良いこと。これが大原則

◎ 生きることイコール良いこと。これが大原則

 

 1人の遭難者を助けるために、レスキュー隊が動員されます。人命は地球よりも重いと言われているからでしょう。「生きることイコール良いこと」、この大原則が否定されたら、延命を目的とする医学をはじめ、政治・経済、科学・芸術、倫理・法律も、すべてが空中分解します。これらは、「どうすればより長く、快適に生きられるか」の追求以外ないからです。

 リストラや介護の不安を解決して、安心して生きられるようにするのが、政治や経済の役目でしょう。昔の洗濯は中腰のまま洗濯板に衣類を押しつけ、固くしぼりあげる重労働だった。「洗多苦」とよばれるほどでしたが、今はボタン1つ押すだけ。科学技術の進歩で、生活が楽になったことは否めません。人間関係のトラブルを解消し、気持ちよく生きられるようにするのが倫理や法律です。毎日、仕事仕事では大変なので、明日への活力剤として、芸術やスポーツがあります。

 これらはみんな、「どうやって苦しい人生、楽しく生きるか」の努力です。「人類への貢献」といわれるものも、この「生き方」の範疇以外のものではありません。

 

◎ つらい思いをして病魔と闘うのは、幸福になるため

 

 医療の現場では、命を延ばそうと懸命な努力がつづけられています。日本初の脳死移植は3大学から医師が集まり、氷詰めにした臓器をヘリコプターや飛行機で空輸。とくに心臓は、4時間以内に体内に戻さなければならないので、1分1秒を争う戦いです。脳死判定から術後の管理まで、費用はしめて1千万円を超えるといわれます。

 やがて必ず消えゆく命、そうまで延ばして、何をするのでしょうか? 心臓移植を受けた男性が、何をしたいかと記者に聞かれて、「ビールを飲んで、ナイターを観たい」と答えています。多くの人の善意で渡米し、移植手術に成功した人が、仕事もせずギャンブルに明け暮れ、周囲を落胆させました。「寄付金を出したのはバカみたい!」支援者が憤慨したのもわかります。

 命が延びたことは良いことなのに、なぜか釈然としないのは、延びた命の目的が、曖昧模糊になっているからではないでしょうか。臓器提供者の意思の確認や、プライバシーの保護、脳死の判定基準など、二次的問題ばかりが取り上げられて、それらの根底にある「臓器移植してまでなぜ生きるのか」という確認が、少しもなされてはいないようです。

 つらい思いをして病魔と闘う目的は、ただ生きることではなく、幸福になることでしょう。

「もしあの医療で命長らえることがなかったら、この幸せにはなれなかった」と、生命の歓喜を得てこそ、真に医学が生かされるのではないでしょうか。

 

 世の中ただ「生きよ、生きよ」「がんばって生きよ」の合唱で、「苦しくとも生きねばならぬ理由は何か」誰も考えず、知ろうともせず、問題にされることもありません。

 こんな不可解事があるでしょうか。